うどん部屋

そこそこ家事をがんばるパパの、育児と読書中心の雑記ブログ

「首無の如き祟るもの」読書感想文

今週のお題「読書感想文」

 

こんばんは、うどんです。

 

まさか、お題に"読書感想文"がきてしまうなんて。

今まで力不足でうまくできなかったが、一番好きな刀城言耶シリーズの中で、特に一番好きな「首無の如き祟るもの」を読んだ感想を、今できる限りの力で書いてみようと思う。

 

※できる限りネタバレをしない範囲で書いているので、完全な感想文にはなりきれてないです。

 

ー「首無の如き祟るもの」を読んでの感想文ー

 

"私は今後の人生において、これ以上すごいミステリに出会えないかもしれない"

そう思ってしまうほどの、驚愕の読後感。この本について一言で感想を言うとすると、それに尽きる。私の読書人生において、ここまで大きなどんでん返しは経験したことがなかった。しかも、それは一つの作品の中で起きたことではない。"シリーズをまたいで起きた"という、とてつもないスケールのどんでん返しだったのである。

最初に刀城言耶シリーズの第1作目である「厭魅(まじもの)の如き憑くもの」を読んだ感想は、"まぁ悪くはないけど長くて無駄の多い作品だな"だった。しかし、次に読んだ第3作目「首無(くびなし)の如き祟るもの」の衝撃と感動で、第1作目の評価までひっくり返ってしまった。「首無の如き祟るもの」という作品は、作品の中でどんでん返しを起こすだけにとどまらず、第1作目の「厭魅の如き憑くもの」すらも伏線にして、物語をひっくり返してしまったのだ。

まずは、刀城言耶シリーズについて簡単に紹介する。このシリーズの作者は三津田信三さん。代表作は刀城言耶シリーズの他に、人の死相が見える探偵を主人公にした”死相学探偵シリーズ”がある。

刀城言耶シリーズの概要は、怪奇幻想作家である刀城言耶が、小説の取材で訪れた先において数々の奇妙な事件に巻き込まれて、なんだかんだで最終的に解決してしまう、というホラーミステリーである。時代背景は戦後間もない頃。物語は「怪奇幻想作家である刀城言耶が、若い頃に遭遇した事件をまとめて本にした」という形式で、長編一冊につき一つの事件が扱われている。現在までに長編が7作品、短編集が3作品発売されている。

このシリーズの特徴は、”主人公は怪奇幻想作家であり名探偵ではない”という点と、"過去の事件を作者がまとめている"という点である。

主人公は名探偵ではなく、あくまで"事件に巻き込まれて成り行き上推理を行う怪奇幻想作家"である。そのため解決編においてやたら紆余曲折がある。あれでもない、これでもないと幾つもの推理を披露して、なんとか真相にたどり着く。最初はこのくだりが冗長に感じた。推理を披露するたびにそれを検証するので、一番爽快な部分で焦らされるのである。

また、過去の事件をまとめたものだから、補足で説明が多かったり、主人公が全然出てこなかったりと言った場面が多くある。長編全てのページ数が多い理由は、そういったシーンにページが使われている、という理由もある。

この説明だけ見ると、敬遠する人は多いと思う。最初に書いた通り、私も「厭魅の如き憑くもの」を読んだ際は特徴の悪い部分ばかり見えていて、楽しめなかった。

しかし「首無の如き祟るもの」は、これらの特徴を最大限に活かして伏線を貼り、読者の裏をかく。事件のトリック自体には大きな驚きはなかったが、このシリーズの特徴を活かしきって貼られた伏線には、鳥肌が止まらなかった。「首なしの如き祟るもの」は、「厭魅の如き憑くもの」をトリックの一部として使い、壮大なミステリを構成していたのである。

それまで小説から受けた最大の衝撃は、道尾秀介さんの「向日葵の咲かない夏」だった。ちょっと小説が好き程度だった当時の私にとって、あの"少し違和感を感じながらも物語に惹き込まれて読み進めてしまい、最後の種明かしで衝撃を受ける"という感覚は、全身の毛穴が開くほどの感動をもたらした。小説にしか作れない世界の存在を知り、同じ感覚を味わうため様々な本を読み漁った。

しかし、私が「厭魅の如き憑くもの」から「首無の如き祟るもの」の流れで受けた衝撃はそれ以上のものだった。

もちろん衝撃を受けた理由は違うし、内容も全然似ていない。それでも”違和感を感じながらも物語に惹きこまれすぎて読み進めてしまい、最後の種明かしで衝撃を受ける”という感覚は全く同じだった。そしてその感覚を”第一作目さえ伏線にして”表現している「首無の如き祟るもの」は、震えるほどの感動を私にもたらした。

その後、刀城言耶シリーズを全作品を読み、多くのどんでん返しをウリにしたミステリを読んだ。しかし、残念ながら同じレベルの衝撃を受けることはなかった。

「首無の如き祟るもの」は、震えるほどの衝撃と興奮を与えたと同時に、今後もう同レベルの衝撃は味わえないかもしれないという悲しみを、私にもたらしたのかもしれない。

まだ読んでいない方が、心から羨ましい。あの興奮を味わうチャンスがあるのだから。できることなら、私の記憶からこの小説に関する記憶を消してほしい。そうすればまたあの興奮を味わうことができるのだから。

そんな不可能なことを考えながらも、私はまた新たなミステリに手を伸ばす。もう一度同じくらいの、いやそれ以上の興奮を求めて。

 

おわり 

 

最後まで書いてみて、感想文とはなんなのか、よく分からなくなってしまった。

それでも以前ブログに書いたが、本当に楽しかったし、これ以上は表現出来ないくらい一生懸命考えて文章を書くことができたと思う。

後悔はないし、全力は尽くしたし、またいつか力をつけて書き直したいと思う。

一つだけ言えるのは、最後にカッコつけてるところを後日読み返して震えるほど後悔する、ということだ。